幻のイラン・スーサの歴史的遺産との遭遇

三和 導代 です。

ルーブル博物館に行きました。9時オープンより15分ほど前から予約なしの当日券の列に並び運よく見学ができました。何の下準備もない状態でした。この博物館の数の多さと迷路のような展示室は世界でも類を見ません。一時はコロナ禍で閉鎖されていましたが、再開、多くの観光客で賑わっていました。基本的には予約制です。

私が1日いても飽きないくらい興味のある世界各国からの遺物が展示されています。モナリザなどの有名な絵画も目白押しです。しかし今回はエジプトと中東(イラン)に絞ってまっしぐら。案内状には日本語の地図もあります。日本語とフランス語の地図をにらめっこしながらスタートです。

建物の構造自体が迷路ですので、見学者が迷子になるのは当然です。しかし各部屋にはそれぞれ博物館の人がいますので、わからない時にはすぐに地図を見せて道順を聞きます。皆とても親切な方ばかりでした。一緒に歩いてくれた方もいたほど。パリにで想像以上の対応でした。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥です。

今回私が一番ショックを受けたのが、イランのスーサでの発掘物がこんなに美しくそれも半端ではない数の芸術作品ともいえる遺物が展示されていたことです。

スーサは竹内文書の資料によれば超古代は日本から文明が伝達された都であった場所です。それが故に私も以前6~7年前にこのスーサが目的でイランの旅を企画しました。そしてスーサを訪れました。

スーサは、アクロポリス、アパターナ、王の都市、技師の都市の四つの遺構からなる。エラム王国時代からのイランでも最も古い歴史を誇る場所です。時代を経ても後の為政者たちが大切にこの土地をまた宮殿として使用しました。ハムラビ法典碑が発見されたアパダーナは、ダレイオス1世によって建設され、冬の宮と呼ばれた宮殿の謁見の間跡です。現在は跡地だけが残っています。

このスーサで19世紀にいち早く現地調査発掘をしたのがフランス人考古学者でした。現在でもフランス人が建てたお城のような巨大なフランス人の発掘隊が出土品を安全に保管できるように建設した倉庫があります。19世紀の遺跡発掘当時ものです。私も現地で初めて見た時、すごいお城をフランス人はこんなところに建てたものだと感心したことをよく覚えています。Shush Castle といいます。

しかしこの倉庫は当時、地元民や政府の人びとには歓迎されませんでした。理由は同時期に干ばつや洪水やハリケーン・日食が起き、地元民は先住民への墓への無礼な行動のせいだと怒ったからだという案内板がありました。実に率直な率直な反応であったと思います。現在も案内板の有無は不明ですが。

遺跡の近くにはスーサから発見された遺物を展示する考古学博物館がありました。この広大な敷地と歴史を誇るスーサですがが、オリジナルの展示品の少なさは当時、感じ取っていました。そして今回のルーブル博物館のスーサでも発掘物が一同に介し展示されている部屋に入った途端、私は声もでないほど驚きでした。私が現地スーサで見たかったオリジナルのダレイオス1世によって建設され、冬の宮と呼ばれた宮殿の謁見の間の色鮮やかな巨大な彫刻群の数々でした。

ああ、フランスが持ち去ったのです。イランの人びとにとっては痛恨の思いであったかとは思います。しかし保存状態も素晴らしく、私の目の前に姿をあわわしてくれました。まさかの瞬間でした。こんな作品がルーブル博物館には宝の山が眠っているのです。再訪が楽しみです。興味ある人にとっては何日も滞在できる迷路博物館です。

Miwa World

竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどる旅。これまでに訪れた国は150ヶ国を超えています。