バスク人は太陽信仰?

三和 導代 です。

バスク地方には独自のフランスの国旗をは別にバスクの国旗があります。バスク独自のスポーツであるバスクの球戯場は必ず小さな村でも広場、教会の近くの中心部には球戯場があります。全長100mくらい、周囲には観客も座れるスペースもあります。そこに掲げられているバスクの国旗は3色。赤は人民、緑は法、白は神を表しています。

それとはまた別にバスクのシンボルといえるプロペラのような十字架が家の壁や宝石、そして墓石などさまざまな場所で使われています。ロブルと呼ばれています。つまり4つの頭という意味です。このシンボルは太陽が昇り、空で輝き回転するようなイメージです。子供たちは小さいころからこのシンボルを書きますが、アルファベットのSを2つ交差させてその中に色を塗ります。

バスク人も日本人と同様に太陽信仰の人びとであったのではないでしょうか。日本のシンボルである16条菊型紋はこれは太陽を象徴しています。

バスク人は現在はカトリック教徒です。小さな村では必ず教会の近くに墓地があります。バスク人の墓は家族で1つです。基本的にはこのプロペラのような十字架を墓石として使用しています。それぞれ家族では多少異なるものの、フランス人やスペイン人の墓とは全く別です。それは家族で1つの墓であることも意味しています。

バスク地方では家族を大切に守り、代々の家を守ります。長子が家を継ぐことになっています。そして両親を面倒を見ると当時に家業を継ぎます。一番上の子が女の子であれば弟が生まれたとしても家の跡取りは女の子です。有名なホテルレストランの経営者に女性が多い理由です。長子が女の子である場合には養子を迎えます。例えば腕の良いシェフと結婚するなどです。

非常に家を大切にしますので、小さな村の建物でもずっと同じ家族が住んでいますので、また家の名前もしっかり刻まれています。何百年も住み続けている家が多いことには驚くばかりです。また建物には赤か緑の木製の木組みの使います。色鮮やかなかわいらしい家が多いのも特徴です。

しかしスペイン側のバスク地方では歴史が異なるため、街並みの雰囲気は異なります。フランコ政権の時代に圧制をかけられていた時代もありましたが、バスク地方はスペインでも富裕層の人びとが多く住んでいるようです。土地や建物もスペインの中でも高額のようです。

Miwa World

竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどる旅。これまでに訪れた国は150ヶ国を超えています。